“優れた者は、迷わず「真似る」。
それが一番の近道だと知っているんだ。
しかし次に、そこで終わるか終わらないかは、「盗めるか」にかかっている。
やりかたを真似たら、それを自分のものにする。
それが「盗む」とゆう事だ。
自分のものにしてしまえば、盗んだものはさらに研磨される。
それは決して、「真似て」いるだけでは起こらない現象だ。”
スティーブ・ジョブズがパブロ・ピカソの発言を引用した言葉
Web Magazine - Sircus「サーカス」 (via dix-neuf)

コピべせずに自分のものにしろってことね


111: オシキャット(やわらか銀行):2013/03/17(日) 21:53:38.34 ID:nt2As7h7P
咄嗟のシーンで混同しがちな「すみません」「ありがとうございます」
これを統合する「恐れ入ります」こそ最強であり育ちが良さそうに見えるゆえ明日から使ってみれ

アメリカの本屋では、なぜソファなどに座って売り物である本を読むことが普通とされているのか

アメリカの大手の本屋では、カフェが隣接していて本をもってきて読むことができると聞きました。
しかも、本が少し汚れたりしても気にならないとか、、、。

なぜ、許されているのか気になります。
これは、アメリカの風習なのでしょうか?

日本でも、椅子が設置されている本屋はありますが、カフェがある本屋はそんな見かけないし、アメリカに比べると一般的ではない感じがします。

アメリカの風習に詳しい方、回答お願いいたします。

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あれは大型本屋が進出を始めたころからですが、私は嫌いです。
べとべとするマフィンを指をなめながら本を読んでいたり、コーヒーを飲みながら一冊くらい読んでしまう人もいます。
売り物の本が汚くなるようで、買うのをためらいます。
雑誌なんか、ものを食べながら読むので、とても売り物にならないくらい汚れます。

アメリカ人の客(いろんな人種がいるが)は、自分のものでない本を汚すことに平気で、読み終えた本を床やその辺に投げ捨てておく馬鹿もいて、本が好きな私は腹がたちます。

いま、大型本屋のBordersが倒産したけど、あそこもカフェで売り物の本を読んでいた者が多かったです。
こういう本屋で実物を見てから、安いオンラインで買う者が増えたのも本屋にとってよくないことです。
以前は古くからある地元の本屋がどんどん閉店したけれど、いまはこんな大型本屋が倒産しています。
カフェなんか設けて、客にサービスしすぎたせいもある、と私は思います。

9: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/12(土) 01:53:51.27 ID:/1vERCVn0.net
ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。

「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振 り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」

叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。

「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
叔母さんはその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母さんは電話を切ることが出来ず、
しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。

「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
再び息子と名乗る男に代わった。

「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
そこで叔母さんはやっと真実を話した。

「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。 電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。

「母さん」
“でも私たちは知ってるはずなんですよね。人間というのは仕事であれ趣味であれ、没頭できて能力を開発できる時間というのは限られていて、たとえ政策に詳しくなくとも車の売り方には熟達しているとか、魚の鮮度は見極められるとか、各々が職業人として、あるいは家庭人としての知識にフォーカスして生きている。そういう生活に神経を集中して暮らしているのが大多数の国民、有権者なのであって、永田町の論理であるとか、政策の良し悪しのところは興味本位であっても100%の理解に基づいた投票での審判などできないわけですよ。”